疑惑の判定。
今回のオリンピックでは疑惑の判定が多くあり、国内外でかなり大きな問題になりました。
当事者の立場に立てばかなり意見が異なるのかもしれません。疑惑の判定で泣いた選手はかなり悔しい思いをしたと思います。4年間が自分の実力以外のところで判定されてしまうのですから。
しかし、自分に有利に判定が働いた場合(不正があった場合は別)、これは運が味方していると思うかもしれません。
息子が剣道の試合では、審判によって大きく判定が異なると言っていました。実は大きな勝負で、一本が入ったと我々は思ったのですが、一本の判定には成らなかったのです。結局その試合は相手方が勝利したのです。
また別の試合では5秒ルールをいうものを相手が守っていないにも関わらず、その流れで一本が取られてしまった事がありました。その時はやはり親ですからとても憤慨いたしました。
息子に「抗議すれば良かったのでは?」と言ったのですが、息子が「それも含めて試合なんだよね。相手が不利になるような抗議は逆にこちらに対しての心証が悪くなるから」と言われたのです。
要するに、疑惑の判定に持ち込む前に実力をガッツリつけて、有無を言わせない勝負をすれば良いだけとの事。完全に息子の方が大人の対応でした。恥ずかしい。
疑惑の判定で勝利した相手は一生こころのどこかに引っかかりを持ちますし、負けた方はそれを糧にまた位置から頑張ればよいのです。
それにしてもルールの中での真剣勝負は見ていて清々しいし、面白い。
これからもスポーツを行う全ての方がルールを守って我々に感動を与え続けて欲しいものです。
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