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しろくま先生のブログ
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2018年1月17日 (水)

会津若松へ2

昨日の続きです。
ソースカツ丼のお店「番番」を出てから、お目当ての鶴ヶ城へ向かいました。
やはり、前日雪が舞っていた為か、観光客がまばら。
これは嬉しい誤算でした。やはり、冬には豪雪地帯には近づかない方が良いって思っている観光客の方が多いかもしれないですね。
そのため、鶴ヶ城の中は見学し放題(笑)。
普段なら、後から来る見学者の流れに乗って、ゆっくりと観られないのですが、今回はゆっくり心ゆくまで説明を読み込み、展示物をじっくり鑑賞する事が出来ました。
鶴ヶ城の歴史を紐解いてみると、会津藩の歴史は戦国時代に始まるとされています。
戦国時代、会津地方は、旧名である「黒川」を本拠とする蘆名(あしな)家の領国でした。蘆名家は跡目争いや家臣団の権力闘争などで徐々に衰退し、仙台の伊達政宗との戦で大敗し、政宗の領土となりました。その後、秀吉に領土を没収され、蒲生氏鄕が領土を納める事となりました。この時に黒川から若松と名前の変更が行われました。
その後、城主は上杉家、蒲生家、加藤家、保科家(後の松平)と変って行きます。
その歴史の流れの中で、城の名称も「黒川城」→「若松城」→「鶴ヶ城」と変化してきました。
現在、築城している鶴ヶ城は、会津戦争で損傷が激しく取り壊されて、昭和40年に近代化され再築城されたものです。
もう、それはそれは立派な城でため息が出ます。
現在は鶴ヶ城内は会津の歴史館の様になっていて、天守閣は会津の街が一望出来る展望台となっています。
鶴ヶ城の1階はお土産屋さんとなっていて、鶴ヶ城見学後、お土産をみていると、娘が「ここでお土産買っちゃうと、鶴ヶ城に行った時に邪魔になるね〜〜」と言ってきたので、「おいおい、娘、今居るところ、観てきたところが鶴ヶ城じゃぞ」と注意してあげました。
娘は建物内があまりにも見学様スペースになっているため、城だと気がつかなかったみたいです(笑)。
展示の中には気になったものもありました。
最後に残った白虎隊の若い侍の肖像画と生い立ち、生き様が書かれているパネルが展示されていました。
一人一人丁寧に読み進めました。
さぞかし、未練だったろうなと感じるところがあります。
時代が違うので決して比較対称にしては行けないのですが、現代の同い年の若者とあまりに違う生き様に、平和の有り難さを感じましたし、若くしてこの世を去りましたが、凝縮された濃い人生が羨ましくもあり。
とにかく考えさせられる良いものになりました。
子供達もこの展示を観て、なにか感じてくれれば良いのですが。

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