しろくま歯科医院 WEBサイトへ

しろくま先生のブログ
しろくま歯科医院より歯にまつわる楽しいお話や、
毎日のケアについてのアドバイスを載せていきます。
calender

2024年4月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
AED
当院では、心停止の救命措置に必要なAED(自動体外式除細動器)を設置しております。

最近のトラックバック

アーカイブ

リンク



« 届きそうで届かない | メイン | 送信できない・・・。 »

2006年12月15日 (金)

年甲斐もないは最高のほめ言葉

私が高校3年の時、友人が熱心に読んでいる本がありました。

「野田秀樹の受験は要領」という本でした。当時の私は高校でテニス部の部長をしていて夏の最後の試合にまで大会に参加していました。

時期的に受験勉強をしなくてはならない時期だったので本当にあせっていたのです。そのときに友人が持っていたこの本を私も読み、実行し、受験に臨みました。

そのときの経緯から、よく野田氏の本をよく読むようになったのです。

今回も、彼の著書『人は「感情」から老化する』を読みました。中には精神科の医師の目線から見た鋭い意見が豊富です。

今日はその中から少しご紹介いたします。

「年甲斐もない」は最高の褒め言葉である

意識して「強い刺激」を求めよう

中高年になると心がなかなか沸き立たないのは「慣れ」に加えて、前頭葉の機能低下が起きているからです。

「箸が転げてもおかしい」のは10代のころの話だが、大人になって感情がビビッドな人なら、些細な事でも感動出来ます。

しかし、一般的には多少の事では感動出来なくなってしまいます。前頭葉の機能が下がって、強い刺激でないと感じなくなっているのです。

感動は基本的には「予想」と「実際の体験」との差で起きます。

有名シェフの料理を食べたときも、日頃から一流店で食べ慣れている人なら「こんなものか」と。想定の範囲に収まる事が多いでしょう。感動できるのは、期待以上だった時だけになります。

期待はずれの料理が出てきてがっかりすることもあるだろうが、予想の範囲はダメな方向にも広くなっているから、なかなか立腹するまでには至らないのではないでしょうか。

経験を重ねたことで、予想のレンジ(幅)が格段に広がっているのでしょう。その範囲内に入っている物に関しては、レストランの料理がうまかったろうが、まずかろうか驚かないのです。

だから、自分の予想が裏切られるような、予想外の刺激を受けるチャンスを、意識して作る必要があります。

たとえば、食べることが好きな人なら、これまで食べたことのないものを食べることです。高級和食に慣れ親しんできた人なら、たいていの和食は感動出来ないが、これまで敬遠してきたタイ料理などにもチャレンジしてみれば、予想外の美味しさに出会う事も出来るかもしれません。

そのほかにも、感情を強く刺激する物として、麻雀や競馬などの「勝負事」や「ギャンブル」、さらには「恋愛」があります。両者に共通するのは、しばしば予想外の事が起きる「不確実性」と、「今度は勝ちたい」「強くなりたい」という「向上心」が刺激されることです。

向上心を司っているのも脳の中の前頭葉です。勝負事やギャンブルでは、負ければ悔しいし、次には勝ちたいと研究や努力をします。恋愛も、ことに始まったばかりの頃は、相手がどうやったら喜ぶか、振り絞るように想像力を働かせる訳だし、自分自身、相手にふさわしい人間になろうと努力します。

どんなことであれ、自分が少しずつ進歩していると感じることは大きな快体験であり、生きているエネルギーにもなります。

実際、恋愛は若返りの妙薬です。少し認知性の症状が出ているおばあさんも、素敵なおじさんに出会って、化粧を始めたり服を気にするようになると、症状が好転することもよくあります。実際、いきいきとした若々しい心が蘇るのです。

「恥」という言葉は大敵

以前、評論家の竹村健一さんと対談したとき、「テニスは50歳、スキーを57歳、スキューバダイビングを58歳から始めた」とおっしゃっていました。普通ならみんながやめる年から始めた好奇心と行動力は、前頭葉の若々しさを物語ります。

昭和40年代~50年代、報道番組から、バラエティ番組のゲスト出演、テレビCMまで、テレビで顔を見ない日は無いというくらい、超のつく売れっ子だった竹村氏は、それまでスポーツには全く無縁だったそうですが、若い頃から好奇心の塊でした。

フルブライト交換留学生としてアメリカに留学後、まっすぐ日本に帰らず、船で大西洋を渡ってヨーロッパに行き、半年かけて帰国したそうです。「日本人の海外渡航が制限されていた時代だったから、この機に、ついでから行ってみたかった」そうですが、好奇心の強さが伺えるエピソードでしょう。

いろいろなことを50代のうちにはじめ、複数の楽しみを並行して続けるのは、脳の特性からみて、全く理にかなっています。仕事にせよ、遊びにせよ、いくつかの事を並行して行うようにしておくと、前頭葉で、「感情の切り替え(スイッチ)」を訓練することになるからです。あることがうまくいかなくても、別の楽しみがあれば、気分を切り替えが上手になります。

また、竹村さんがすごいのは、新しいことを始めることに当たって、「年甲斐もなく」「もう年だから」「いまさら何を」という発想が無いところです。

日本では、老人に対して妙な生活規範や道徳観の押しつけがあります。「年寄りは枯れて恬淡(てんたん)としているべきだ」と決めつけてみたり、中高年には洋服はフレーやアースカラーが似合うはずだと、本人も周囲も思いこんでいるところがあります。麻雀よりも短歌や俳句のほうが高尚でふさわしいという雰囲気もあるし、しかも年をとればとるほど規範や枠に当てはめようとします。しかし、これは本質的に間違っています。

前頭葉の機能が衰えてきて、意欲も弱まっているからこそ、自分の興味や好奇心を大切にしないといけません。

「そろそろ年だから、俳句でも」という動機で始めていても続かないのです。「年だから」という理由で、あきらめたりやめたりしないといけないものはないのです。

歌人斎藤茂吉の未亡人・輝子さんは、80歳を越えても世界各国を旅行していました。それも南極やアフリカなど、ハードルの高そうな場所を選んでです。息子の北杜夫さんとの対談で「偉大な人の妻っていうのは、みんな悪妻に決まっているのだもの」と開き直っていたが、余計な道徳律や「年甲斐もなく」という無言の圧力とは無縁の生き方です。

中高年からは、「いい年をして」と周りから言われるのを過剰に気にしたり、自分に言い聞かせたりしないで、おもしろそうと思ったことはやってみることです。

今までしならなかった強い刺激を得ることは比較的簡単です。どんどん新しい事を始め、「向いていない」「つまらない」と思ったら、さっさとあきらめて次のことに取り組めばいいのです。

痛い所をつかれた思いです
本当にそうです
100%受け入れます・・有難い・・。


コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。