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2008年9月 9日 (火)

徳川将軍家に見る退化小実験

本日は、丸橋賢先生の著書「退化する若者たち」の中から、お送りいたします。

徳川将軍家に見る退化小実験

骨は語る

徳川家の将軍は家康に始まり、十五代の慶喜で終わりますが、この間の頭骨や歯列の変化を調べた貴重な研究があります。

東京大学理学部の人類学研究教室の教授であった鈴木尚氏の研究で、「骨は語る-徳川将軍・大名家の人々」(東京大学出版会)にまとめられています。

江戸時代の庶民とはまったくかけ離れた生活をしていた将軍の骨や歯列は、当然の結果として当時の庶民のものとは違います。

同一の民族でも隔絶した環境と食生活をしていたのだから、これはまさに退化の実験ですし、しかも極めて実施しがたい貴重な実験であります。この結果が語る事実から学ぶべきことは非常に大きいです。

将軍の食生活は、豆腐、鶏卵を用いた料理、刺身、赤貝の丸煮、ハマグリの吸い物、焼き物などのほか、アワビの貝類に昆布を敷き、クワイ、エビ、タイ、ミツバ、シイタケ、松茸などを入れ、卵をかけて煮たものなどが共されていました。

すべて毒味役が確かめられたのちに食されたと鈴木尚氏は記します。そのような食生活と歯や骨との関係について、次のようにまとめています。

「将軍の中で六十歳という最高齢で死亡した十二代家慶の場合、すべての歯は咀嚼による摩耗(咬耗)がまったくなく、どの歯もそれらが生え出た青年の頃そのままの状態で、しかも各咬頭は真珠のように滑らかで、かつ光沢がありました。いわんや、それより若い他の将軍にあっては、なおさらのことであります。つまり、当時のみならず、現代の庶民に比べても歯の咬耗が甚だしく少なかったことが、将軍の歯の特徴です。このことから考えると、固いもの、歯ごたえのあるものは食膳に上がらないのみか、上記の食品も噛む必要がないほど軟らかく調理されていたものを思われます。後述するように、将軍の咀嚼器官の発達が甚だしく悪かったのは、たぶんこんなところに主な原因があったのでしょう。」

退化が激しく進行した徳川将軍家

このような環境下にあった徳川家の将軍には、共通して貴族形質とよばれる著しい退化傾向が認められました。クラウディング(乱杭歯)、歯周病痕(歯槽骨の吸収)、虫歯、不正咬合などが現代人と同程度に認められます。しかも骨や歯を見ると、一代進むごとに、退化も大きく進行したことが分かります。現代人も祖父母に比べて父母の退化が進み、その子たちの退化は激しく進んでいますが、この点も徳川将軍家と現代日本人は似通っています。

二代将軍、秀忠の頭骨は、墓の石室が崩れ、石に押しつぶされて形が分からないが、四肢骨や筋付着部の発達から見て、戦国武将的な逞しい体であったとされています。

六代将軍、家宣の遺骨は保存状態が、良好で、下顎前歯の歯槽吸収が見られ、下顎角は大きく開いています。

九代将軍、家重では臼歯が傾斜し、激しい歯ぎしりの痕が見受けられます。十二代将軍、家慶は細長い顔をして、下顎角も大きく開き、全歯にわたる歯槽骨吸収が認められます。歯周病が相当に進行していたと考えられます。咬合も反対咬合(受け口)になっています。

そして、江戸末期の将軍、十四代家茂は、現代の退化した若年者の最先端をゆく顔形、咬合となっています。細長い顔形で、下顎骨は細く、眉上隆起、頬骨、下顎角などの突っ張りがありません。下顎角は大きく開き、前歯部はオープンバイトとなっています。このタイプの咬合ではほとんどのケースで強い頭痛、肩こり、首のこり、吐き気などが出現しています。極めて悪質な退化型です。歯列も歪み、虫歯も現代人と同様に多く、第三大臼歯(親しらず)も半埋伏状態です。

家茂は甘いものが好きで、砂糖や氷砂糖、羊羹、葛などを好んで食べたとされています。しかも病弱で脚気に苦しみ、最後は胸痛、咽頭の腫れ、足の浮腫などを悪化させて、二十一歳で病死しました。

この家茂の頭骨の形態、歯列や咬合状態を見れば、生きる力が弱く、とても長生きなど出来ないと思われます。

人類学的尺度で振り切れば、困難に見舞われるたびに、弱い個体や集団は淘汰され、消滅してきました。徳川家の将軍が巡った運命もこの例に漏れがなかったように見えます。

個人の健康や民族の健全な持続的生存を願うならば、弱気を愛し、許し、保護する心情は人間として当然のこととしたうえで、主眼は強い心を持ち、励まし鍛え、強きを育てる方向におくべきではないでしょか。

参考文献 退化する若者たち 丸橋賢著 PHP出版

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