歯固めと寿命
本日は、磯村先生の著書「おもしろい歯のはなし60話」よりお届けいたします。
◇歯固めと寿命
年齢を表す「齢」という文字は「年歯」とも書き、「よわい」とも読みます。
「数珠繋ぎにならぶ年月」という意味があります。「年歯(としは)」は年齢のほどということで、年齢のい幼い場合にいうことが多いようです。たとえば、昔は「年歯もいかぬ娘おば・・・・」というような言い方をしていました。
また、年歯(端)月というと、陰暦正月の異称でもありました。
「齢」には寿命への願望がこめられていて、歯のなくなるところに寿命がつきるという、あきらめにも似た思いがあったのです。
「論語」に「没歯(ぼっし)」という言葉がありますが、これは、生命が終わる、寿命がつきるという意味を表しています。
秦の始皇帝の例を引くまでもなく、昔から人々の最大にして究極の関心事は、健康と長寿につきるといっても過言ではありませんでした。そして、「歯」と「長寿」とを結びつけて、歯は長寿の条件とみなす考え方があったのです。古代ギリシャのヒポクラテスは「長命者はたくさんの歯を持つ、すなわち、健康者は歯が丈夫でも老年になるまで保存される」と説いています。
滝沢馬琴も「玄同放言」の「草木身体同訓考」に「老年になっても歯がしっかりしている人は長生き出来る。それで歯を与波比という。我が国のならわしで初春に大きな餅(鏡餅)を固めて、松柏の類とともに飾って延年を祝い、しかる後これを食べる。名付けて歯固めという」と記しています。
このように長寿を祈る行事に「歯固め」というのがあります。この行事は平安時代初期に中国から伝えられたようです。昔、中国では正月に膠牙餅(こうがせい・・・かたあめ)をなめて、歯を丈夫にし、長寿を祈る習わしがありました。歯を齢という意味に解して、歯を固める長寿を願ったのです。
日本でも公家の社会でこれを真似て、年歯(端)月と言われる正月三箇日の間、鏡餅、猪、鹿、大根、押鮎、瓜、焼鳥、雉子などを食べるようになりました。いつ頃からこのような行事が行われるようになってかといいますと平安時代の初期と考えられ、九三六年に成立した紀貫之の「土佐日記」や紫式部の「源氏物語」にも歯固めのことが書かれています。最初の項は、宮中で行われていた行事でしたが、やがて民間に伝わり、正月の雑煮餅を祝う風習へと変化してゆきました。
しかし、民間においては、歳神に仕えた鏡餅そのもののことを歯固めというところが多く、ことにこの餅を凍り餅にしたり、かき餅にしたり、かき餅やあられにしたりして夏季まで保存し、六月一日に食べるという風習がかなり広い地方に残っていました。正月には神に供えたものには神秘的な霊力があるので、労働の激しい夏季まで蓄え、もう一度その威力にたよろうとしたわけです。歯固め餅と呼ぶ餅を食べる習慣が残っている地方があるそうです。
また、まだ歯も生えていない赤ちゃんが噛んだり、しゃぶったりして歯ぐきを固める玩具そのものを「歯固め」という場合があります。赤ちゃんが健やかに育ち、長寿を全うできるようにと、親心をこめて与えたと言われています。
参考文献
最近のコメント