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2008年4月 8日 (火)

歯磨きは仏教とともに

本日は、磯村先生の著書からお届けいたします。

☆歯磨きは仏教とともに

日本人は、農耕民族のためか、日本最古の文字は、二世紀末の弥生時代の土器に墨で書かれた「田」(水田の形から作られた文字)という字ではないか、と言われています。

「口」という文字も古く、三世紀後半の土器に彫られたものが見つかっています。「歯」は、五世紀半ばの反正天皇(別名 瑞歯分王 みずはわけおう)の名前に初めて出てきます。

それでは、人間はいつから歯を磨くようになったのでしょうか。チンパンジーは、歯の間にはさまった食べ物を枝の先で器用にとります。サルから人間へ、古代人たちも歯の間にはさまった食べかすが気持ち悪くて、何とか取ろうとしたことでしょう。こうして歯磨きがはじまりました。

ユダヤ教の法律(BC十五~十三世紀)や、エジプトのパルピス(BC一五五〇年)に歯磨きの記述が見られます。

アッシリア人(BC七〇〇年頃)は、鼻と口の中を清潔にし、指先で歯をこすることを健康法としていました。また、アリストテレス(BC三八四~三二二年)はアレキサンダー大王のために書いた「健康の書」で、「大王様後起床とともに手を洗い、口をそそぎ、目と鼻の穴をお掃除ください。それがおすみでしたら目の粗いタオルで歯をおみがきください」と説いています。

マホメットも「汝ら、心をこめて歯を磨け、それは神を崇めるの道なればなり」と教えています。

古代人たちの食生活は質素で、砂糖などはありませんでした。ですから、虫歯は少なかったのですが、穀物などのデンプンが主だったので、歯の周囲にべっとりとくっつきました。それを放置しておくと口臭がしますし、不潔です。古代インドでは歯の清掃を一日2回、朝夕行う週間がありました。

釈迦は口の中をきれいに清掃することによって、五つの功徳(利益)があると教えました。「一つは口中の臭気を除く、二つには食物の風味が良くなり、三つには口中の熱を除き、四つには淡を除き、五つには目がよくなる」と。歯磨きは仏教徒の守らなければならない大切な戒律の一つでもあったのです。

日本では古墳から出てきた人間の歯に、一面だけひどくすり減っているものがあり、歯を磨いていたように見えなくもありません。古来から日本人にも身を清め、口をすすいで神に詣でるという習慣はありましたが、日本での歯磨きの思想は、五三八年の仏教伝来とともに伝えられたようです。平安時代に密教の儀式として民間、世間一般に広く伝わり、口腔衛生法としての歯磨きが普及していきました。

庶民生活に定着したのは江戸時代の元禄のころからで、井原西鶴は「歯は透き通るほど白く、磨きつくすを第一にす、好色の家にて口中をたしなむこと最上の業なり。外をつくひたりとも、口中無沙汰なれば、色を好むと言ひ難かるべし」と記しています。

また、中国の晋(二六五~四二〇年)に、孫楚(そんそ)という負けず嫌いの人がいました。ある日、王斎(おうさい)とう友人に「沈石漱流」(まさに石に沈し流れに漱がんと欲す)と言うべきところを間違って「沈流漱石」(石に漱ぎ流れに沈せん)と言ってしまいました。王斎は「流れは沈すべきものではなく、石に漱ぐべきものではない」となじると、孫楚は「流れに沈するのは耳を洗うためであり、石は漱ぐのは歯を磨くためである」と巧みにこじつけてやり返しました。「流石(さすが)」という語はこの古事から生まれ、夏目漱石のペンネームもここからとられたそうです。

参考文献 おもしろい歯のはなし60話 磯村須賀人著 大月書店

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