インプラントの歴史2
昨日の続きです。
インプラントの歴史2
ブローネマルクシステムによる治療を最初に受けたのは、ヨスタ・ラーソンという34歳の男性でした。生まれつき病気のために顎の骨が弱く、歯も数本まばらに生えていただけで、食事や会話に不自由な生活を余儀なくされていたのです。
彼は、ブローネマルクにとって初めての治療であることを納得した上で、上下の顎にインプラントを埋入する手術を受けました。
結果は見事に成功。ラーソン氏は新しい人工の歯で、それまでの悩みを解消する事が出来たのです。彼のインプラントは、40年以上経った晩年も問題なく機能していましたが、残念ながら他界してしまいました。
ブローネンマルクはラーソン氏に対する治療の後も、旺盛に治療と研究を続けました。そして1977(昭和52)年、ブローネマルクのグループは、1965~1975年の10年間に行った症例についての報告を世界に向けて報告したのです。
対象となったのは211名(235顎)で、ラーソン氏のように上顎あるいは下顎の歯が1本もない無歯顎の人達でした。なかには上下顎の歯が1本もない人たちもいました。埋め込まれたインプラントは全部で1618本にのぼります。その後も研究は続けられ、1981(昭和56)年に発表されたデータでは2768症例にも上りました。
この発表は、歯科学会に一大センセーションを巻き起こしました。治療成績が非常によかったからです。発表によると、確立期(インプラントのデザインや治療法が確立した以降の時期)では、治療完了後、5年経過したインプラント残存率は、上顎81%、下顎91%、つまり100本のインプラントのうち、上顎では81本が、下顎では91本が残ったのです。
この発表に、当時の研究者や歯科医師の多くは、高い成功率に驚きながらも、「金属が生体のなかで生かされるわけはない」と懐疑的な反応をみせました。
また、この時のデータは、無歯顎患者のみを対象にした研究結果だったので、部分的に歯のない、つまり天然歯がのこっている口腔でも有効なのかどうか、疑問視する声もあがりました。
しかしその後、アメリカの各大学においても実験が繰り返され、ブローネマルクの報告、つまりチタンと骨との結合は科学的に正しいと認知されるに至ったのです。
そしてそれ以後、様々なメーカーが続々とチタン製インプラントの開発に取り組んだのです。
1998年(平成10)、チタン製インプラントについての様々な功績が評価されたブローネマルクは、スウェーデン政府からノーベル賞に値するグランドプライズ賞を授与されています。
このように歯科治療に画期的な貢献をしたブローネマルクは、現在、ブラジルで隠居生活をしていますが、ノーベル賞が授与されないのが私には不思議でなりません。
参考文献 よくわかる歯科インプラント治療 加藤大幸著 現代書林
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