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しろくま先生のブログ
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2006年11月 5日 (日)

家族とはなんだろう。

昨日の11月3日(文化の日)は、朝から一日充実させようと、以前から決めていました。

なぜなら、かなりストレスが溜まっているのなと、自分自身で感じていたからです。

日々の生活のストレスでは無く、仕事以外の雑用が多すぎて、それがストレスになっていたのです。

今週で、そのストレスに解放される予定だったので。

私のストレス解消は映画と読書です。妻もそれが分かっているので、おのずと映画と本屋へ行くことになりました。

午前中は、またすこしだけ仕事をして、午後1番で家を飛び出しました。

当初は、今日から始まる「デスノート」を見ようと思っていたのですが、さすが初日というだけあって長蛇の列。寒いし、並ぶのが嫌だったので、あっさり却下。

映画館で、他の映画の時間を調べました。「巨大なスクリーンで映画を見られれば何でもいいや」と半ば、やけ気味でした。時間的に、「ワールド・トレード・センター」が見られそうです。

時間まで、まだ余裕があったので、すぐに本屋へ向かいました。

本屋では、筒井康隆の読んでいない本を発見。また、絶版だと思っていた雑誌のバックナンバーをも発見。結局その日は目に付いた読みたい6冊の本を購入。(お小遣いはほとんど本で消えていく感じ。)

そろそろ、「ワールド・トレード・センター」が始まる時間だったので、映画館へ。

この映画は、9・11のテロで直接被害にあったその場所の映画です。

あまり本国アメリカでは人気が無い様子。まだアメリカ人が見るには早いそうです。心の整理が付いていないというか・・・。

私はその時何をしていたかというと、今でもはっきりと思い出すことができます。

バーミアンというファミレスで食事をし、恥ずかしい話ですが、ゲームセンターでゲームをしていました。

帰りにコンビニに寄り、買い物をしている時、そのニュースをしりました。始めは小型のセスナか何かがビルに激突した程度かと思いました。

家に帰り、ニュースで久米宏さんが真剣な顔で事実を淡々と告げているのを見た時、これはテロだなと思ったものです。

映画を見る前に、我々は事実をしっているので、私は事実ではなく、フィクションとして見ようと決めていました。

鑑賞した感想は、とても一言では言い表せません。何事もなく始まった1日が、他人の思惑のせいで、大きく人生を狂わされ、また当人以外の人々をも大きく狂わせていく。

自分の家族が巻き込まれた可能性のある人々は、泣き叫び、この世の地獄を訴える。しかし、ひとたび自分の家族の安全が確保されると、とたんに冷静になり、他人事の様に慰め始める。この小さなカオス的状況が世界中で起きたかと思うと、本当に切なく、涙がこぼれました。

実は、私はアメリカに短期で勉強に行ったことがあるのですが、その帰り、「グランド・ゼロ」と呼ばれるその現場へも足を運びました。そこはだいぶ整理されていましたが、とても大きなショックを味わいました。

あれほどの街を短期間で跡形も無くたたきつぶす大きな力が一瞬で起きたのですから、あの中で生きていたというのは、未だに信じられません。奇跡としか言えません。

ただ、彼らが息も絶え絶えの中、生きる希望をつないだのは、家族との記憶であったり、家族との未来を夢見る願いだったのです。

そのなかで、瓦礫に体が挟まった状態で、マクローリンがヒメノへ向かっていう言葉が印象的です。

「お前が死んだら、俺も死ぬ。-いいな?-俺も-死んでしまう」

「じゃあ、死なないように」

「頑張ろう」

生と死は本当に気持ちが切れた時点で、あきらめた時点で終わりなのかもしれません。

映画が終わって、食事をし、家に帰ると、「泣きながら生きて」という番組が放送されていました。

番組の内容をかいつまんで、少し説明します。

この番組は、中国での悪い生活から、希望を見つけるために日本へ借金をしながら語学留学を決意し、日本の地へ旅だった男とその家族の話。

しかし、日本が用意した場所は北海道の僻地。

彼は、働きながら勉強し、借金を返済し、日本語を身につけ、日本の大学へ行くという夢を持っていたが、この場所では、働く場所すらない。

彼は泣く泣く自分の夢を断念し、娘の医者になるという夢を実現するため、東京へ出て、不法滞在者となり、借金や娘の学費の為に、3つの仕事を掛け持ちして働き始める。

不法滞在者にため、中国へ戻れば、二度と日本の地を踏むことが出来ない。

このため、故郷へは戻らず、家族の為に日本から送金を続ける日々。

念願かない、娘がニューヨークの医学部へ合格をはたす。東京経由でニューヨークへ行くことに。トランジットを利用して東京でお父さんと再会を果たすが、実に8年ぶり。お互いに照れとうれしさで本音が出せないが、娘は父が自分の為に多大なる犠牲を払っていることを目の当たりにする。

一方、中国に残された母は、ひとりぼっちになってしまって、寂しさと悲しみで、耐えられなくなるが、家族の為、娘の為にと節約しながら頑張って生きていく。親子3人がバラバラの国で生活しなければならないのです。

母は娘に会おうと、何度もアメリカにビザの申請を行うが、幾度となく却下になり、12回目の申請でやっと許可が下りる。

母も娘のニューヨークへ行く途中で、父のいる東京でトランジットを利用し、13年ぶりの再会。

その時母は言います。

「正直、父を疑った事もありました。しかし、今日、本当の事が分かりました。彼は本当に私たちの為に頑張ってくれた事を」

周りの人たちは、父に、もう娘の念願が叶ったから、中国へ帰ればいいのではと言われ続けますが、その後も2年間も仕事をし、送金を続けました。

それから2年後、ようやく父は日本を後にして中国へもどります。

こんな内容でした。

私は早くに父を亡くしました。この番組をみて、母が同じような苦労をしていたのかと想像した時、涙が止まらなくなりました。

どうして、頑張って生きていこうと努力している者が辛い目に遭わなければいけないのだろうと悩みます。

しかし、映画でもテレビでも今回見たなかで、達成したものだけしか出せない笑顔があったというのは確かです。

最近は、簡単に死を選ぶ人間が多すぎる様な気がいたします。決して一人だけで生きている訳ではないということをよく考えて、人生を選択して欲しいと思います。

今日は笑って泣いて、充実した1日でした。

このブログ、泣いちゃいました
真っすぐ歩いていると、向こうに、光、があるんですね、
色々と思い出しました。
現在 過去 未来 と大小のハードルがあるとおもうけど
知恵と努力そして家族の絆(愛)でクリアしたい。


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