Y先生との思い出。
医学部の学生さんや歯学部の学生さんにはかなりの試練があると思います。まず最初の試練は大学受験だと思います。次には過激な進級試験や卒業試験や国家試験だと思います。
試練を乗り越えた先には明るい未来があると思いきや一生の生き方を決める専門の決定があるのです。
自分は(私の場合は歯科)、何科を専門にするのか、大学で臨床の道を究めるのか、基礎医学の研究者となるのか、はたまた医師免許や歯科医師免許を生かした役人となるのか、それとも開業医を目指して頑張るのか等々。
私の場合は実は歯学部に入った時点で決めていました。それは入れ歯の講座(教室)に入局すると決めていて、しかもまったくブレませんでした(卒業試験の追試で最後まで義歯が合格しなかったのはご愛敬)。
理由は2つあって、一つは祖父と父(私は彼らと同じ大学に入学できた3代目なのです)が入局していた講座(局部義歯)に私も入局したいって思っていたということと、憧れのY先生が入居していた事です。
もう、Y先生は当時の最先端だったインプラント治療を大学の中で率先して行っていたのです。それはそれは格好よかったです。
卒業試験が終わり国家試験が近づいた時期に夜食を買いに大学近くのセブンイレブンへ行った時の事です。そこにY先生がいたのです。
私は思わず近づき、「先生に憧れているので同じ講座に入りたいです!」と言ってしまったのです。
私はY先生の事は知っていても、Y先生は私の事は知らないのです(極度の陰キャの私ですが、Y先生は私にとってアイドル的な存在だったのです)が、ついつい我慢出来ずに言ってしまったのです。
そんなY先生ですが、私がようやく国家試験を合格し、大学院試験(なんとか、無理矢理、ぎりぎり)にパスし、憧れの補綴第三講座(局部義歯学)に入局した時にY先生は大学を退局してしまったのでした(泣 いつもその事をネチネチと私は言い続けています)。
しかし、私とY先生とのお付き合いはそれから不思議と濃くなっていくのです。Y先生のインプラント手術の助手をなんと7年も続ける事が出来ました。Y先生の手術がある日は大学を早退して手術の助手のお手伝いを行いました(それは開業してからも福島から通いました)。
Y先生が海外へ出張に出かけた時は私が代理で診療をした事もありました。一番の思い出は私の現在の診療の基礎となっているドーソン法という顎関節治療をアメリカまで送り出してくれたことです。
ドーソン法の本場でもあるアメリカで学ばせて頂ける機会を頂いたのは本当に私の財産となっています。
インプラントと顎関節治療が私の診療の2つの柱なのですが、どちらもY先生に指導して頂けたのです。
それからは私の兄貴の様な存在で、いつも相談に乗って頂いたのです。
そんなY先生が今年いっぱいで閉院することにしたそうです。まだ歯科医師自体は引退した訳ではないとのことですが、、、、なんだか悲しくてやるせないです。
今後は時間が出来ると思いますので、奥様と第二の人生を楽しんで頂きたいと思います。
近いうちに遊びに行きますのでよろしくお願いします。
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