麻疹(はしか)絵
本日は、デンタルトリビューン紙2009年11月号の中の『歴歯散策』をお届けいたします。写真も同文より添付しました。
◇20年余の周期で流行した麻疹(はしか)
新型インフルエンザの猛威が巷間で話題になっている。人類の病気との戦いは、感染症との戦いの歴史とも言える。
江戸時代の人々を苦しめた病の一つに、はやり病(感染症)がある。赤痢、コレラ、梅毒が代表的であり、疱瘡(天然痘)は毎年のように流行し、治っても顔にあばたが残った。
一方、麻疹(はしか)は一度かかれば2度目はかかりずらり病気であるが、子供だけでなく、大人にも容赦なく襲いかかった。口腔内の初発症状としてコプリック斑はことに有名で、発病2~3日後、あるいは、発疹出現の2~3日前に麻疹患者の80~90%に見られる口腔粘膜の臼歯部に生じる帯青白色の斑点である。
麻疹は江戸時代に10~30年余の周期で流行しており、慶長12(1607)年、元和2(1616)年、慶安2(1649)年、元禄3(1690)年、宝永5(1708)年、享保15(1730)年、宝暦13(1763)年、安永5(1776)年、天明2(1782)年、文久2(1862)年に流行shした。
なかでも天保7年の大流行は6月半ばから始まり、7月には「麻疹患者がいない家はほとんどない」と言われたほどであった。
◇多様な情報が掲載されたはしか絵
麻疹が流行したときには護符として、あるいは世俗画として、多くの「はしか絵」が浮世絵師によって描かれた。はしか絵には迷信やまじないのもの、診察の図に加え、養生の伝として慶安2年の大流行以来、文久2年の大流行の時は年次を記載したものまで大量に刷られた。
なかには今日の疫学に類似した記述も見られ、数多くの種類がある。特に、病を抑えつける意味から東向きの馬屋にある馬のかいば桶を顔にかぶる風習が行われた。浅草寺のかいば桶は効果があったという(写真の左側)
当時、麻疹は陽毒によると考えられていたので、この陽毒を除く治療法として飲食物の取り方について書かれたものがある。「食してよろしきもの」に黒豆、大豆、インゲン豆、昆布、くず、みぞなどが挙げられている。
多くのはしか絵が、養成の心得として「食べて悪しきもの」と「食べてよろしき物」を記しているが、内容はいずれも絵によって異なり、食養の難しさを物語っている(写真左)
また、「忌むべきこと」に房事、灸治、入浴、そばなどが挙げられ、遊郭、風呂屋、酒屋、そば屋、床屋や芝居小屋がガラガラになったというから、はしか絵がいかに江戸市民に浸透していたかが伺える。
麻疹はかつて克服された感染症であったが、最近、若年層での流行が問題視されている。新型インフルエンザも特効薬がなく、予防が最重要と考えられ、食養学から抵抗力をつけることも肝要と言える。
形を変えて人類に警告を発してきたのは「はやり病」は、人類の叡智がためされているのかもしれない。
テキスト:日本歯科医史学理事 日本大学松戸歯学部教授 渋谷鉱先生
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