経験的な事を言えば・・・・。
非常に怖いことを言えば、自分が思っているほど人は他人には感心がありません。というか興味がないのかもしれません。
他人に感心があるのは、よほど自分に余裕がある人だと、勝手に思っています。
裏付けとして、日本でもそうなのですが、特に海外ではその傾向が強いです。
俗に言う「億万長者」と言われる大金持ちは、ボランティア精神が豊かだといいます。
お金の話しだけではなく、心が豊かな方や使命感が強く、心に余裕がある方もボランティアには積極的と言われています。
つまり心と懐に余裕がある人がボランティアを行う傾向にあるともいえるかもしれません。
自分の事で非常に恐縮なのですが、私は経済的な危機と精神的な危機を迎えた事が幾つかありました。
経済的な危機は、自分の頑張りで何とか挽回するしかないのですが、精神的な危機はなかなか辛いものがあります。
私が歯科大学を留年した時は、本当にきつかったです。経済的という意味もありましたが対人な問題が最もきつかったです。
留年した最初の頃は、周りがいろいろと気を遣ってくれて、何とか乗り切れるのですが、周りの方々もそんなに気を遣っていられないし、生き残りが大変な学校だったのでそのうちかまわれなくなってきました。
要するに、ボランティア精神の富んだ学生はそれほど多くなかったということです。とかく留年学生相手には(笑)。
最初はいじけていたのですが、いじけていたって誰もまってはくれないし、世の中はいつもの通り流れていく。自分には父親もいなかったので戻れる場所もない。
そんなとき、口の悪い友人が言い放った言葉が衝撃的でした。
「一人で落ち込んでいたって、周りからすれば、一人いなくなったな。くらいにしか思わないよ」
と。
実はその通りなんです。自分で頑張るしか無いんですよね。
留年仲間(こんな言い方 どうなんだ?)でも、精神的に耐えられない学生さんや他に選択肢のある学生さんは皆大学を辞めていきました。
私は、学校や家庭にご迷惑をかけるかもしれないが、辞めずにがむしゃらに頑張ろうと思いました。
気持ちを入れ替えてからは、精神的にも楽になり、前向きに頑張れるようになりました。
卒業まで、相変わらず勉強では苦労しましたが、留年大丈夫か??見たいな状態ではなくなりました。
要するに、気持ちが大学のレベルに追いついていなかったんですね。覚悟が足りなかったんです。
先ほどもこのブログでも書きましたが経済的な問題とか医院の経営的な問題(従業員が足りないとか)も、あの大学でのひとりぼっちの中で戦い抜いた(結構大げさ・・笑)事を考えれば何てことないです。あの辛さはその位本当にしんどかったです。
だから、これからも問題が起きたとして、その問題が乗り越えられないとすれば、覚悟が足りなかったと思うようにして、気持ちを入れ替えます。
テニスをずっとやって来て、0−5で相手にマッチポイントを握られても歯を食いしばって勝ち抜いた先輩を何度もみてきました。それは相手が「これは勝ったな」という「おごり」や「気のゆるみ」に先輩が「絶対勝つ」という覚悟で相手の緩みにつけいっていき、逆転をしていく(奇跡を作っていく)のと同じだと思います。
神様は乗り越えられない試練は与えないって何かで読んだことがあります。
必ず乗り越えられるという不退転の覚悟が必要なのかも(あくまで、私基準で 笑)。
今日はちょっとセンチメンタルが気分で書いたブログでした。
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