初めての広島〜その4 番外編〜
学会を早めに切り上げ、新幹線の時間まで、同窓の高木先生がプチ広島観光へ連れて行ってくれました。
まずは、すぐ側にある、『広島平和記念資料館』へ。
ここは、原爆被害が詳しく説明されている資料館みたいです。
高木先生は、ここの地元なので、原爆が落ちた当時の状況を詳しく説明して貰いながら見て回りました。
本音を言えば、あまり期待していなかったのです。
せっかく広島へ来たのだから、ついでに観ておこうかな?位の軽い気持ちでした。
しかし、私はかなりの衝撃を受けてしまいました。言葉では表せないくらい。
当時の広島へ落ちた原爆の模型が天井につってあります。
あんなに小さな原爆がこんな恐ろしい被害をもたらすなんて。
どんなに恐ろしいかは、実際に資料館へ行って観覧するしかないのですが、有無を言わさぬ暴力的な破壊力とその後の悪い影響力は今もなお残っているそうです。
正確な数字はショックで良く覚えていないのですが、原爆が炸裂した瞬間の大気温度は7000度にまでなったと書いてあったと記憶しています。7000度なんて、あり得ないと思うので、たぶん間違いです。でもそんな記述が資料に書いてありました。
高木さん曰く、昔は、もっとグロテスクな資料館だったそうです。今はだいぶ観光しやすくなっていると。
当時の写真が何枚か展示してありました。
皆、服は剥がれ、皮膚は爛れ、髪毛は逆毛だち、路頭に迷い助けを求めるような感じです。
銀行の石段も展示してありました。人の影が石段に残ってしまったものです。
今は、目をこらさないと影はあまり見えないのですが、高木さん曰く、昔はもっとはっきりと写っていたそうです。
それから、ショックだったのは少し距離の離れた場所にある鉄性のドアが爆風で曲がっているのです。
人間の体よりはるかに硬い鉄があんなに婉曲してしまっているならば、人間なんてひとたまりもありません。
何度も書きますが、あんな小さな原爆1個でこんな事になってしまうなんて・・・・・(絶句)。
その後、高木さんに原爆ドームやその縁の場所へ案内してもらいました。
高木さんのご親戚には有名なパン屋さんがあります。
ここ福島には無いのですが、東京へ出張へ行くときなど良く購入しています。
最期に広島風お好み焼きへ。お目当てのお店がかなり行列が出来ていたので、込んでいないお店へ。
お味は・・・・・あれっ?て感じでした。
今度は人気店に伺ってみたいです
かなり良い経験が出来ました。
帰宅後、私は、かなり考え込んでしまいました。
それは、福島の原発のことです。
広島の原爆の何倍も大きな原発がすぐ側で放射能洩れが起きている。
あんなに小さな爆弾でこのような大きな被害をだしているのに、私はここ福島で子供たちを育てていってもよいのだろうか?
少しでも放射能に関する自分なりに答えを出そうと、地元で手に入る原爆の本を読みあさりました。
しかし、残念ながら答えは出ていません。
ただ、はっきりと原発には反対でと言えるようになりました。
最近のコメント