大晦日
今年最後の更新です。
本音を言えば、早く今年が終わって欲しかったとうっと思っていました。
何せ、いろいろ有りましたから、、、、、今年は。
なにかまだ不安で、出来るだけ出歩かないようにしています。
今年一杯は(笑)
今年も残り少なくなって来ましたが、
家族と笑って過ごしたいと思います。
皆さん、良いお年を。
しろくま歯科医院
院長 猪狩
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« 2011年11月 | メイン | 2012年1月 » 2011年12月31日 (土)大晦日今年最後の更新です。 今年も残り少なくなって来ましたが、 しろくま歯科医院 2011年12月29日 (木)007 白紙委任状~ジェフリーディーバー
なんてたって、あのジェフリー・ディーバ-の書いた『007』ものである。興奮しない方がおかしい。 ジェフリーディーバーは、『リンカーンライムシリーズ』で有名。もちろんとても面白い。 007といえば、イアン・フレミングの『カジノロワイヤル』から始まって没する1964年まで書き続けられた。その後、ジョン・ガードナーなど多数の作家により小説化されている。 ジェフリーの書いたジェームスボンドは、映画のジェームスボンドとはちょっと違いました。映画の中の007は、物語の序盤に犯罪の全貌(犯行目的)が明らかになり、それをジェームスボンドが阻止していくという流れ。 しかし、ジェフリーの書く007は、いつものリンカーンライムシリーズの様に、犯人と犯行目的が終盤まで不明瞭です。それを謎解きを加えつつ、ボンドが解決していくという本好きにはたまらない流れです。 しかし、そこは007。ジェームスボンドの容姿、性格は変わりません。酒と拳銃とj女性の扱いには慣れている。あと、Qの開発する新兵器も少し登場。しかし、現在の世情を反映してか、スマートフォンのスパイ・アプリの活躍が多く書かれている事も現在のジェームスボンドらしい。 しかし、この本を読むのは非常に時間がかかった。9月から始まって、12月末まで。 毎日本を持ち運んでいたので、本の背表紙は破れ、本自体がばらばらになる寸前で読了という有様。途中で3冊ほど他の本に浮気してしまったけど、読み終わるとハラハラドキドキのとても面白い本でした。 実は、ジェフリーの未読の本が2冊ほど本箱に。興奮冷めやらぬ内に手をつけるべきか、それとも、スティーブジョブズ関係の本に進むべきか、それとも・・・・・・。 2011年12月28日 (水)今年もお世話になりました。今日の午前中で今年の仕事はすべて終了いたします。 無事に終わることが出来て、感謝感謝でございます。 今年は、本当にいろいろなことがありました。 震災のこと、手の手術のこと。 その都度、かなり落ち込み、立ち直れなくなるほどではありましたが、何とか皆様のお力添えのおかげで乗り越えられました。 自分の考える噛み合わせの講演も行うことが出来ましたし、悪いことばかりではありませんでした。 震災後も、徐々にではありますが患者さんも戻ってきてくれて、患者さんの安否も確認できました。 来年の仕事は、また新しい技術や知識を吸収し、さらなる飛躍を目指したいと思います。 今年一年本当にありがとうございました。 2011年12月27日 (火)技工士さんお世話になってます。いよいよ暮れも押し迫ってきましたね。 当院は明日の午前中で今年の診療を終了いたします。 今朝も多くの患者さんがまさに押し寄せているといった感じです。 ただ今年がいつもと違うのは、非難されていた方々が一時戻ってこられているということ。 ~~までにまた県外へ避難するので、それまでにというかたが非常に多いです。 明日で終了なのですが、院内技巧で、技工士さんが常勤でいるので、かなり無理を言って明日までに制作してもらっています。 こんな時は本当に助かります。融通が利くのはありがたいです。 技工士さんありがとうございます。 来年もよろしくね。 2011年12月26日 (月)雪かき昨晩は、雪が降りました。 クリスマス寒波って本当なんだと実感。 そのため、今朝はこの冬初めての雪かき。 雪かき、結構好きなんです。雪かきって要領よく行うと、結構手早く済ますことが出来るし、よい運動にもなる。 まず、自宅の窓辺から、雪かきをする駐車場の雪の状態をチェック。頭の中で、雪かきのコースを描きます。 イメージが固まったら、防寒具を身につけ、駐車場へGO!まるでスポーツの様です。 雪かきはいつも奥さんと二人で行うのですが、彼女が毎年どんどんと雪かきのレベルが上がっていく。 今朝など、見事な雪かきぶり。要領よく、手際よく雪かきをしていきます。 これなら、私がいなくても大丈夫。 彼女一人に任せられます(笑顔)。 叱られるかな、奥さんに。 2011年12月24日 (土)クリスマス・イブですね。今日は、クリスマスイブですね。 当院は、三連休の中日でも普通に診察しております(笑)。 昨晩の事です。 娘がなかなか寝ないのです。 『どうして寝ないの?』と聞くと、 『サンタさんを待っているの。』という返事。 思わず微笑んでしまいました。 『サンタは、眠った子供の所にしか来ないんだよ』というと、喜んで床につきました。 一日予定が早まりましたが、妻が以前から用意していたプレゼントを枕元に置いておきました。 朝起きて、息子はその包みをずっと抱えて大事そうにはしゃいでいるし、娘も嬉しそう。 こういう行事は、子供の育成にはとても大切なのかもしれません。 いつまでも夢をもっていてもらいたいです。 2011年12月21日 (水)年賀状そろそろ年賀状の季節ですね。 今年は、年賀状の用意をしていません。実は震災の時に過去の年賀状が汚れたり、ぬれてしまったりして、ほとんど廃棄処分するしかなかったのです。 パソコンも同時に壊れましたので、年賀状ソフトのデータも喪失しました。 そのため、年賀状を出したくても出せないのです。 震災がこんな二次災害(???)も生み出すとは、自分でも考えていなかったですね。 でも、割り切ってしまうと心の負担もすこし軽くなって、仕事にも集中できそうです。 2011年12月19日 (月)久々のブログ更新ここのところ、ブログの更新が出来ていません。 まだ、手術後の状態が安定していないので、あまりパソコンに近づかないようにしているのがその理由です。 出来るだけ、仕事以外では指を使わないようにしているのです。 また、手術後は出来るだけ安静にしていようとして、12月は一切のセミナーや講習会には参加しないことにしたのです。やはり参加すると無理をしてしまいますから。 で、その弊害なのですが、かなり精神的に不安定になってしまいました。 今までは、毎月何度となくセミナーや講習会に参加して忙しくしていたのに、現在は自宅でじっとしている状態。FACEBOOKなどで、仲間が研修会や勉強会で頑張っている姿を見ると、もういても経ってもいられない感じです。 自分がかなり遅れを取ってしまっている感じがして、かなり落ち込みます。 指の状態が良くなって、一刻も早く勉強を再開させたいです。 ですが、焦って指の悪化をするよりは、すこし安静にして指の回復を待ちたいと思います。 今は、どっさり本が読める環境になっていますので、しばらくは本の世界に没頭したいと思います。 2011年12月16日 (金)言葉遣いはとてもデリケート私の親しい方のことなのです。 その方は、とある眼科で治療を受けているのですが、治療を受けてから鬱状態になってしまったのです。 よくよく話しを聞いてみると、目の病気の説明の際に口ごもったり、説明が足りなかったりして、すっかり本人がもう失明してしまうと思い込んでしまったのです。 私が、病名と状況を冷静に判断しても、とても失明になんかならないし、このまま点眼を続けていけば問題なく過ごすことが出来る状態です。 しかし、当の本人は、目がかすんでも、病気のせいだと思い込み、日が差してとてもまぶしい時も、病気のせいだと思い込む。目が疲れやすいのもすべて病気のせい。失明の前兆だと。 どの症状も疲れていたら誰にでも起こることなのに、本人はもう気がつかない。 これは一種のドクターハラスメントです。 我々も医療従事者の端くれなので、このことは十分教訓として頭に入れておかなければならないと思いました。 歯の治療で状況が悪くても、患者さんの心情を思いながら、根気よく説明を続けて行かなければいけないと思いました。 状況が悪ければ、悪いなりの説明の仕方があると思うのです。 私は完璧な説明が出来ているとは思わないですが、今後も努力はし続けるつもりです。 目の症状以外に心の病気にさせてしまったその眼科医は医者失格です。 私は強くそう思います。 2011年12月14日 (水)最近、涙もろくて困ります。。。。昨日の事です。 午前中からインプラントの手術があったり、師走なので多くの患者さんが来院したりとごった返す院内。 そんな中、心温まるお見舞いの品が届きました。 届けてくれたのは、私の同期の友人で、愛知県常滑で開業している井上君とI DENTAL CLINICの皆様です。 届いたのは、かわいいクリスマスツリーと皆様の一言が入った色紙。 最近は、こういう心のこもった贈り物を頂くと、涙腺が破壊され涙もろくなります。 我々の住む福島は、住民の努力により、平静を取り戻しつつあります。 頑張って復興しますので、今後もよろしくお願いします。 ・井上敬介先生 いつも気にかけて頂き、ありがとう。先生の診療所の噂は、遠く福島まで聞こえてきます。世の中から虫歯をなくすという熱いメッセージは必ず患者さんに届くと思います。これからもよろしくお願いします。 ・井上貴詞先生 その節は大変お世話になりました。大変勉強をしていると噂で聞いております。中国の歴史書『三国志』でも、有能な軍師諸葛孔明がいたからこそ、蜀は栄えました。院長先生を支えI dental clinicを大きくしていってください。共に頑張りましょう。 ・寺島亜季さん 十分のパワーと『愛』を受け取りました。歯科の骨格は予防にあると信じています。これからも院長や貴詞先生を支え、盛り上げていってください。ありがとうございました。 ・大坪美春さん そうなんです。愛知県と福島ってかなり遠いのですが、心の中では実は近くでもあります。I dental clinicの皆様にはいつも刺激を受けていて、遠くてもライバルだと思っていつもがんばれるのです。これからもがんばって1本でも多く歯を救ってくださいね。 ・杉本実奈美さん 杉本さんのお気持、頂きました。実はこういうときこそ平静を装い、何事もなく生活することがいかに大切かを勉強しました。普通に生きることはすばらしい。杉本さんマイペースでいきましょう。ありがとうございました。 ・安井あゆみさん 愛知県にも多くの被災者の方が避難されていると思います。安井さんは私たち現地の人間ではなく、避難されている被災者の方の健康をお願いします。心強く思っていますよ。ありがとうございました。 ・平野夏未さん 私が毎日考えて生活しているのは、自分の仕事を一生懸命行えば、それが必ず復興に近づくということです。常滑の患者さんを大事に思っていれば、それがひいては日本の復興に近づくと信じています。応援ありがとうございました。 ・鈴木智子さん そうですね、日本全体が笑顔になると良いですね。I dental clinicの皆様のように!!応援ありがとうございました。 ・杉田美由紀さん(み~ゆさん) いつもお世話になっております。私もいつもブログ楽しみにしていますよ。井上先生や貴詞先生のよいアシストを今後もよろしくお願いします。facebookでも活躍の様子がうかがえます。頑張ってください。応援ありがとうございました。 ・小河香織さん まず最初に患者さんがコンタクトを取るのが受付です。不安がいっぱいで、恐怖心を押さえながら来院します。そんな中、最初に緊張を取ってあげるのが受け付けの大事な仕事の一つだと思います。大変な仕事だと思いますが頑張ってください。応援ありがとうございました。 ・那須宏美さん だんだんと福島の人たちにも笑顔が出てきました。辛いことも、幸福の裏返しと考えて頑張っていきます。応援ありがとうございました。 ・高橋晴香さん こんなにすてきな贈り物を頂いた私たちは本当に幸せものです。高橋さんの力強いお言葉心にしみます。頼ってくる患者さんに暖かいお言葉をかけてあげてください。応援ありがとうございました。 ・百合草さん 励ましのお言葉ありがとうございます。私はまだまだ努力が足りないのかもしれません。井上先生を見習ってがんばります。百合草さんも頑張ってくださいね。応援ありがとうございました。 ・阿部麻紀さん 東北はこれから寒い時期に入ります。体が資本の我々も体調を崩さないようにしないといけないですね。阿部さんも医院にとって大事な医療事務といいう裏方最高の仕事頑張ってください。応援ありがとうございました。 ・皆川三好さん 義歯作成は、歯科の基本と思っています。審美も咬合も顎関節も発音も・・・・・・。もう上げるだけできりがないほど義歯の可能性は高いです。歯科治療の最終目標は咬合だと思っています。これからもお体に気をつけて頑張ってください。応援ありがとうございました。 ・三尾佑太郞さん 技工は勉強しても、勉強しても、したりないくらい奥が深いです。すぐにでも駆けつけてもらいたいくらいです。三尾さんも私たちに負けないように頑張ってください。応援ありがとうございました。 ・山口葵さん 山口さんのいつもの頑張りを常滑の患者さんに発揮してください。応援ありがとうございました。 ・坂和磨さん 歯科の世界は、放射線技師の力を必要としています。これからどんどんをCTの解析が進み、今まで治療出来なかった虫歯まで治療できる日が来るでしょう。すべて坂さんの両肩にかかっています。頑張ってください。応援ありがとうございました。 2011年12月12日 (月)町内会の放射線低減化対策のための説明会昨日、午後1時より、近所の公民館の集会場で説明会が行われました。 私は10分前に会場入りしたのですが、もうほとんど満席で、前の方しか席が空いていませんでした。そのため、一番前の席に座りました。 時間より少し遅れて、説明会が始まりました。 はじめに挨拶もろもろが終わった後、町内会三役の一人の方が放射線について説明を始めました。 説明が始まって30分くらいたった頃、なんかこの説明はおかしいなと感じ始めました。放射線の詳しい物理の授業みたいなのです。今回は、地域の除線の打ち合わせのはずではなかったのか?ちょっと趣向が違うなと。まあでも、これも一考だと観念して、この際じっくりお話を伺おうと気持ちを入れかえました。 そのときです。 住民の方が、突然立ち上がり、「今回は物理の授業を聞きに来ているのではないんだ!どうしたら効率よく除線が出来るかを相談するのではないのですか!!!」とかなり強い口調で言われました。 それからは住民の方が堰を切ったように抗議の声を上げ始めました。 まあ、正直、期待していた内容とはかけ離れた内容だったので、憤懣は致し方がないと思う。 仕事を休んでまで来ている方もいたし、貴重な休日をつぶして来ている方も多いと思うし。 抗議の内容を整理してみるとだいたい二つに分けれてきます。 一つは、東電のことは今後も抗議の声を上げていかなければ行けないけれど、それは置いておいて、親の責任として子供の将来のために自分たちで除線行動を行おうという声と、もう一つは、東電が起こした今回の問題は、すべて東電のせいである。その尻ぬぐいを我々住民が行うのはおかしいという声。 どちらも正論だと思います。 しかし、今後この土地で一生を生活しなければいけないのなら、自分の手で除線を行うべきだし、無理なのなら立ち去るしかないのではないでしょうか。 私は幼い子供の親として除線は『親の責任』として行っていきたいと思います。 話は少し戻ります。 私は一番前の席で、講師の話を聞いていました。講師の方は同じ町内に住む初老の方です。 おそらく今日のために一生懸命勉強したであろう手書きでびっしりと書かれたノートが見えました。 私は、この方の努力が見えてしまい、とても怒りを覚えることが出来きませんでした。しかも途中で中断されたけれど、とてもわかりやすい講義だったと思います。また機会があればまた聞いてみたい。 今はこの問題は非常にデリケートで、鋭利な問題でもあります。たまたま議題とずれてしまっただけです。落ち込まずに頑張って欲しいと思う。心からそう思います。 上から目線ですいません。 2011年12月10日 (土)歯科大学の同窓会(翔仁会・・防備録として)11月20日に東京ドームホテルにて、翔仁会(私の同窓会の名前です)の総会および懇親会が開かれました。 午前11時ということで、ちょっと余裕の出発。これが失敗の元。15分ほど総会に遅刻してしまいました。 総会に出席すると、懐かしい面々。思わず顔がほころびます。 さて、議題に上がっていたことも、今の私たちの年代に関係することが議題の中心でした。 つまり、今の年代はばりばりに仕事が出来る時。そのため、仕事やその他(子供の行事など)で多忙を極め、なかなか同窓会への参加が出来ないというものでした。 そのため、2年に一回行っていた総会や懇親会を4年に一回とか3年に一回とかにするかということを話あっていました。それと、なかなか集まらない会費の問題とか。。。。。。 同窓会の仕事ってなかなか、毎日の生活と関わりづらいし、お金にもならない(苦笑)。しかし、まじめに一生懸命頑張っている評議会の先生(仲間)を見ていると、本当に頭が下がります。 評議会の後は、会場を移動して(同じホテル内)、懐かしい面々と楽しい会話が弾みました。 あ~~今日来て良かったな~~と言うのが正直な感想。 基本的に群れるのが嫌いな私ですが、最近は、結構人の中に行くのが好きになってきました。これも歳をとったせいかな。 実はこの日はダブルヘッダー。宇都宮にてCTのレクチャーを受けることになっていまして、途中で退出しました。 もっと長くいたかったとこの時ほど思ったことはありません。 2011年12月 9日 (金)研修と打ち合わせ(防備録として)11月16日は、午前中に仕事をしてから、午後東京へ出張へ出かけました。 実は、この出張にこぎ着けるまでは非常に大変でした。 15日に手術することは決まっていたので、それまでにどうしても打ち合わせの準備をしなければならなかったからです。 今度の打ち合わせは、新しいHPのこと。 出来るだけ、新しいことをしたいと思い、いつも担当のワンダフルさんには無理を言ってしまうのです(苦笑)。 出張当日の仕事は、やはり親指に力が入らず、歯を削るたびに痛みが出ました。でも、手術翌日なので仕方がありません。 仕事が終わって、東京へ出発までにまだ数時間ありましたので、そこで何枚か資料を作成しました。 その日の研修は、三好先生のインプラントプランニングセミナー。 今回の研修も、ガイドサージェリーという切らない安全性優位のインプラントの治療法を丁寧に説明してくれ、またダブルガイデットサージェリーテクニックについても講演されました。 もう大満足の講演でした。久方ぶりに懇親会に参加しようと思いましたが、手術後ということと、明日打ち合わせということで、懇親会は見送りました。今度は参加したいです。いつも言っているな~。 次の日は、朝一番で渋谷で打ち合わせ。なかなか自分の言いたいことが伝えられない状態だったけれど、それまでの準備不足のせいなので、これは致し方がないと思ういました。 次までに自分の考えをまとめられればと思っています。 なかなかハードな2日間でしたが、その間手術後の痛みも出なかったし、よしとしましょう。 2011年12月 8日 (木)腱鞘炎手術体験記6(最終回)昨日の続きです。 木曜日から日曜日まで毎日午前中いっぱいを使って点滴を行いました。 日に日に手の腫れは収まりました。 ただ、親指から腱鞘炎の手術をした部位にかけて、熱傷感と麻痺のような状態がずっと続いています。 この感覚は現在も続いています。 その感覚のお話を先生にしたのですが、検査の結果神経の状態は悪くないとのことなので、これは手術の後遺症ということで時間が解決してくれるのをまつしかなさそうです。 歯科でも同じような症状が出る場合があるので、これは致し方ないです。 今後も定期的に症状の確認のために通院が続きますが、頑張って克服したいと思います。 自分で手術を受けてみて、腱鞘炎の手術をした方が良かったか、悪かったかを考えると、結果的には手術をして良かったと持っています。憂鬱な日々を過ごすよりは、思い切りたい性格なので。 余談ですが、術後感染の原因を調べるために、血液検査と内科を受診しました。結果的には因果関係は見られなかったのですが、ダイエットを命じられました。ですから、あれから少しずつダイエットを始めました。これも成果が出たら(笑)、お知らせいたします。 診療の仕事は、多少不便はありますが、なんとかこなすことは出来ます。この手術のせいで多くの患者さんや関係者にご迷惑をお掛けいたしました。申し訳ありませんでした。 2011年12月 7日 (水)腱鞘炎手術体験記5昨日の続きです。 昨日から続いた痛みは、次の日には、腕自体がかなりの腫れと痛みを伴いまったく仕事が出来ない状態になってしまいました。 仕事が出来ない状態というよりも、あまりの痛みで泣き出しそうでした。とてもまともな精神状態ではありません。 受付の大堀さんに無理を言って、患者さんのキャンセルをお願いしました。 連絡がつかず、来院してしまった予約をされた患者さんには申し訳ありませんでした。 すぐに、病院へいきました。そのときは腕はパンパンに腫れていて、かなり痛みも伴っています。 原因を手術をした担当の先生に聞いても、『わかりません』の一点張りです。 これには心底困ってしまいました。しかし、なにもしないわけにはいかないので、抗生物質の点滴を4日間打つことにし、その間は仕事は禁止ということになりました。 明日へ続きます。 2011年12月 6日 (火)腱鞘炎手術体験記4昨日の続きです。 手術から抜糸までの終日は、患部の痛みがありましたが、仕事(診療)の方は問題なく行うことが出来ました。 問題は、抜糸の日から起こりました。 午前中の仕事を11時に先に終了させて頂き、病院の方へ急ぎました。 担当の先生に、手術から今までのお経緯をお話して、抜糸をしてもらい、おおきな絆創膏で固定してもらいました。そのとき、先生が、『どうも、術部の腫れが気になる』とのことでした。 処置室を出て、待合室で待っているときから、患部がじくじくと痛み出しました。少しずつ、少しずつ確実に痛みが大きくなっていきます。 しかし、こういった痛みは今までにも何度か経験がありますので、あまり気にしませんでした。 午後の診療は、すこし右手の親指に力が入らなく、すこし痛みがある程度だったので、そのまま仕事をし続けました。 次の日は、休診日だったので、子供を遊びに連れて行きました。その時は子供に引っ張られるように多くの遊具で遊びました。汗びっしょりになりました。 そのときからです。右手が痛くて、痛くてしょうがありません。患部が痛いのではなく、右腕全体が痛いのです。しかも手首を下に向けると、拍動性の痛みが襲ってきます。『ズキ、ズキッ』と。 自宅にある痛み止めを飲んでも、全く効果がありません。 明日へ続きます。 2011年12月 5日 (月)腱鞘炎手術体験記3昨日の続きです。 手術の次の日は、私が歯医者ということで、自分で消毒をすることを承諾してもらい、仕事を午前中だけしました。 突っ張る感じと親指の付け根付近の麻痺はありましたが、痛みはほとんどありませんでした。 先生から、『術部は、水に強いテープか何かで保護してください』とのことなったため、大きめの水に強い絆創膏で固定しておきました。 その後東京へ向かったのですが、出張中の2日間は何の問題もなく、過ごすことが出来ました。 出張が終わり、仕事に復帰したのですが、全く握力が出ません。 タービンやエンジンを握る指先に痛みが走り、思うように仕事が出来ません。 まだ、手術をしたばかりで、仕事はすこしハードだったかと反省し、少しメペースを落とすようにしました。 来週には、抜糸がありますので。 その後、毎日患部を消毒していたのですが、腫脹と発赤が増していきます。 痛みはほとんどなかったのですが。気がかりな感じです。 明日へ続きます。 2011年12月 4日 (日)腱鞘炎手術体験記2昨日の続きです。 患部に麻酔を打ちました。一回目の麻酔では麻酔が効かずに追加の麻酔を行い、痛みは完全になくなりました。 その後、手術灯が点灯され、手術が開始しました。 開始後、腋窩に太い止血帯がまかれ、空気が送り込まれ、私の腕は血の流れが止まったかのような冷たく、感覚が鈍い状態になりました。指先まで凍りそうな感じ。 手術中は、痛みはないのですが、『ゴリ、ゴリ・・』という感覚が伝わり、とても気分が悪くなりました。気分が悪くなったのは、痛みからではなく、状況を想像してのことです。とても気分的なものです。 途中、先生が『よく切れないな、チゼルある?』という声が聞こえました。それ以外の会話としては、今の医科の話などを先生2人が話していたという記憶があります。 手術中、一度だけ『ビクンッ!』と全身が震える痛みがありました。多分どこかの神経にでも触れたのかなと思った記憶があります。 手術時間は、おそらく10~20分くらいだと思います。あくまでも感覚的な時間なので、もっと短かったかもしれないし、長かったかもしれません。 手術後は、しばらく麻酔効いていたので、痛みもなく、帰宅しました。 写真は手術後の状態です。 2011年12月 3日 (土)腱鞘炎手術体験記1腱鞘炎の手術を終え、その後の術後感染、診療を休まなければならなかった経緯などをちょっと防備録として、また今後腱鞘炎の手術を考えているかたへアドバイスになればよいと考え何日かに分けて書いてみたいと思います。
写真は手術直前の患部。 当日は、午前11時まで仕事(診療)をし、手術に備え、早めに病院へ。 私は、腕の手術で、しかも局所麻酔なのでと気楽に考え、ジーパンにTシャツ、上着というラフな格好で出かけました。 しかし、手術室に行くと、下着以外はすべて脱ぎ、パジャマのような手術着に着替えさせられました。 時間きっかりに手術台の上に寝かされ、心電図および患部の消毒が始まりました。 しかし、自分の腕の手術で、しかも顔を横に向けると、手術風景が見えてしまいます。 さすがにそれは勘弁して欲しいなあと思ったら、消毒が終了した時点で顔と腕の間に小さなカーテンが置かれました。 私の視野は天井だけになってしまいました。そこからはたまに覗きに来る看護師さんの顔と天井、術中の先生の話し声、機材がふれあう音だけが、成り行きを感じることが出来る手段となりました。 明日へ続きます。 |
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