中傷する人々の心理
本日は、平成21年3月9日付けの日本経済新聞よりお届けいたします。
私は、毎日ブログという情報を発信しています。また、HPを通じて医院の情報なども広く公開しています。しかし、それらは全てが良い方向へとつながっているわけではありません。
本日は、この記事を全文そのまま掲載したいと思います。
◇発現欲 満たせぬ現実社会
インターネットの掲示板やブログに個人攻撃の文面が書き込まれるケースが多発している。中傷と言わざるを得ないものもあり、その攻撃性は日常生活でも会話と比べて、より厳しい。ネット上では人間の心は変わってしまうものなのか。
お笑いタレントのブログに「殺人犯」などと事実無根の中傷を書き込んだとして、男女十数名を名誉毀損容疑で警視庁が摘発する方針を固めた事件は記憶に新しい。
地道な社会活動をしている個人にも犯罪には至らないが、しつこい嫌がらせの書き込みが集中することがある。
◇相談1万件越え
例えば、産婦人科のある女性医師のブログには「女性は家庭にいるべきだ」というような内容の書き込みが同じ人物から何回も繰り返された。
一般に女性のブログには卑猥な言葉を書き込んでくるケースが目立つ。他に「おもしろくなかった」というような捨てぜりふをあえて書いて過ぎ去るケース例もある。
警察庁によると、都道府県警察のサイバー犯罪相談窓口に寄せられた名誉毀損や中傷に関する相談は2008年に一万件を突破し、04年の3倍に膨らんだ。
こうしたことが頻発する要因は何だろうか。「人はなぜ悪口を言うのか?」の著がある立教大学の斉藤勇教授(心理学)は第一の要因に「普段の生活で意見や不満を表に出しにくくなった社会」をあげる。
「空気を読む」という言葉があるように、近年の職場や学校の人間関係では雰囲気を壊すゆような発現、他人と異なる意見などは「はっきりと言い出せない状況にある」。
居酒屋で不満を言い合って憂さを晴らす機会も減った。「仲間同士の信頼感も薄い。付き合いは浅く、酒場でも愚痴など言わず、きれいに飲むといった風潮だ」と斉藤教授。
この結果、漠然とした不満や発現欲が心の中に溜まる。インターネットはその「はけ口」として格好の道具。「自宅のパソコンをたたけば自由に書ける。制止する人もいない。家の中では言いたい放題という弁慶の攻撃性がネットにもろに現れる」と見る。
攻撃的な書き込みで多いのが断罪型。正義の立場から悪を懲らしめるパターンだ。だが、十分に事実を検証したかとなると、不確かなことも。しかも断罪は強い組織に向かうより弱い個人に向きやすい。
「〈悪口〉という文化」を著した静岡文化芸術大学の山本幸司教授(日本中世史)は、「余裕のない正義感」と最近の傾向を危惧する。ネットの書き込みなど人々の反応が「ヒステリックというか、許容度が恐ろしく低い」と語る。
何か問題となる行為や事件があった場合、まず当時者の動機や内面を詳しく知りたくなるのが旧来型の反応。そして「その人のことを知れば知るほど、問題の白黒をつけるのが難しくなることがある。意外に普通の人間だとわかって、場合によっては許すことさえある」と山本教授。
ところが現代は、いとも簡単に白黒をつける人が多い。他人を理解しようとする意欲や、人間行動への想像力が乏しくなっている証ではないかという。「悪口も昔はもっと陽性だった」とも。
過激な書き込みが、より過激な表現を呼ぶ形でネットが「悪口競争」の場になりやすい点を指摘するのは「ブログ炎上」の著者、ゼロスタートコミュニケーションズ(東京都目黒区)の伊地晋一専務だ。「うわさや悪口などは会社でも以前からあった。ただ昔と異なるのはネット上では悪口が記録され、人々に伝わって増幅されること。悪口がより大きく見える」と特徴を語る。さらに「ユーザーは自分の個性をアピールするため、他人の書き込みより、もっと過激に書こうとする。行き過ぎると『死ね』といった脅迫になってしまう」。
◇小さな世界を意識
玉石混交の情報が飛び交うネット社会。きちんとした情報戦力を持たないと、「石の情報」に振り回されかねない。心理学の斉藤教授は次のように結んだ。「昔から小さな世界に住んできたのが人間。だからネット上で自分への同調者が二人か三人いればもう多数派になった気分で強きになる。自分の判断は社会的に認められたと勘違いしやすい。その弱点をわきまえてネットとつき合う必要がある」(編集委員 須貝道雄)
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