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2008年6月25日 (水)

理髪外科医

本日は、長谷川正康先生の著書「噛む~歯は命~」よりお届けいたします。

中世紀口腔衛生を支えた理髪外科医

中世紀時代のイタリアにおいては、理髪師が医師の業務の一部、主として外科的範囲の瀉血、吸角法、抜歯、口腔内清掃などを担当していました。

瀉血(しゃけつ)は、刺絡(さつらく)ともいい、静脈に傷を付け血液を体外に出す医術の一方法です。血圧亢進、脳貧血、脚気による心悸亢進などのときに応用して効果を上げた古い時代の療法です。

吸角法は角法ともいい、これも医術の一種で、そのはじめは角製の吸血器を用いていました。皮膚の表面から傷を付けずに血液を吸い出す方法です。この吸血器も中世記には金属や、ガラスで作られるようになりました。この方法は洋の東西を問わず行われていたらしく、我が国では、丹波康頼が選した「医心方」(912年)には、角嗽(チトルカメ)という名で悪血をとり、血圧の高い人の隆圧に用いるとあります。この方法は、現在も漢方で蛭を利用して行われています。

それはさておいて、理髪師が外科を担当していた名残は、いまも看板として残っていることはご承知でしょう。あの理髪店の看板の白、青、赤です。包帯、シーツの白、動脈の赤、静脈の青を表しています。

この商標は、1540年、パリの理髪店外科医メヤーナ・キールが用いたのが最初とされています。

彼ら理髪師の本業は、もちろん整髪にあり、外科的処置や口腔内清掃は副業だったのでしょうが、外科的処置や口腔内清掃の料金は一定ではなく、その処置の状況によって礼金として受け取っていました。

その礼金をいちいち受け取る煩わしさを避けるために、礼金をいれる箱が置かれました。その箱には、本業の整髪の手を休めず迅速に仕事が出来るようにTo Insure Promptness(迅速を保証するために)と書かれていました。この文字を取るとTIP(tip)となり、これがお礼としてあげるチップの語源となったといわれています。

しかし、これには異説があるようです。中世期イギリスのコーヒー店でコーヒーを運ぶサービスを円滑にするため、入り口に箱を置きました。それは前と同じ文字が書かれていました。そこに小銭を入れたお客様からコーヒーが運ばれ、入れなかった人は後回しにされました。こんな事からサービスを良くするためのお礼をチップといったという説もあります。

当時、理髪外科医として有名であったチンチオ・ダマトの著書には小外科の処置法が述べられていますが、その他、歯石除去法、歯の汚染の処置法、歯磨剤の調整法などが記載されています。また、塩の水は歯を白くし、歯肉の潰瘍によいと、塩の効果を述べています。

最近、我が国にも審美歯科学会というのができましたが、ダマトは古代から医術の中に含まれ、「美粧医学」と名付けられ、理髪師は医師の仲間として美粧医学と、ある程度の外科の仕事の仕事に携わっていた、と。

したがって、この中世紀の時代、歯石を除き、歯を清掃して美しくする仕事は、当然、理髪師の手中にあったといっていいわけです。

ダマトは「歯に生ずる沈着物は、胃からのぼってくる蒸気によって出来るので、毎朝歯を擦り清潔にしなければならない。それを怠ると歯は変色して歯石に被われ、虫歯の原因となるので、これを取り除かねばならない」といっています。

このように、一般庶民の歯の清掃は、理髪師の仕事でもあったのです。この理由をJ・ウッドフォードは「抜歯を別にすれば、最良の理髪外科医の口腔治療は清掃であった。なぜなら、この頃の一般庶民は家庭用歯ブラシがなかったから、彼らに口腔清掃をまかせた」といっています。

理髪外科医は、18世紀(1745年 江戸中期)までヨーロッパに存在していました。ヨーロッパ近世外科医の父と呼ばれるアンプロワーズ・バーレ(1517~90)が医師として身を立てるにいたった第一歩は、理髪店の見習生となって刺絡法を修得したのがその動機となったといいます。彼は、16歳の時、パリにでて理髪外科医の許に勤めて修行したといいます。

この他に、理髪外科医出身の医師も多くいました。現在のような型の歯ブラシが考案されたのは、ヨーロッパでは17世紀頃で、毛は馬毛が用いられました。

中国においては、959年頃(10世紀)の歯ブラシが発見されています。これは中国熱河省大管子村にあります遼時代(916~1125年)の王の墓の埋葬品の中から、洗面器、含嗽盃とともに見つかったものです。植毛はすでに腐敗して抜け落ちて何の毛かは分かりませんが、柄は象牙製であったといいます。中国ではかなり古い時代から使われていましたが、一般庶民には縁なき品であったでしょう。

曹洞宗の道元禅師の「正法眼蔵」の中には、中国の喜定16年(1223年)に宋に留学中に、牛角製柄に馬毛を植えた歯ブラシが使われていたことが出ているといいます。

参考文献 噛む~歯は命~ 長谷川正康著 求龍堂

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