入れ歯の始まり
本日は、磯村先生の著書「おもしろい歯の話し60話」よりお届けいたします。
入れ歯の始まり
歯は上あご14本、下あごにも14本、合計28本あります(親知らずを除く)。
1~2本なくなってもそれほど不自由は感じませんが、残っている歯が少なくなってきますと、食事が思うように出来ず、何とかならないものかとあわてることになります。小林一茶は残った唯一の1本の歯で、何かを歯で加えて引っ張ろうとした時、その歯が割れて歯が1本もなくなってしまい、「歯はめりめりとくだけぬ。あはれあが仏とたのみたるただ1本の歯なりけり。さうなきあやまちしたりけり」としょげ帰っています。
古来から人々は、無くなった歯を取りもどそうと悪戦苦闘し、そこから入れ歯らしいものは、エジプトで発掘された紀元前2500年頃のものと言われています。我が国では奈良時代(708~778年)の頃からすでに入れ歯らしきものがあったようです。
しかし、現存する有名なものは、延宝3年(1675年)に没した柳生飛騨守宗冬の埋葬された墓所から発見さ総義歯です。この入れ歯の材料は、黄楊(つげ)の木で出来ており、前歯に灰色の蝋石(ろうせき)を歯の形に彫刻したものをはめ込んでいます。
本居宣長は総義歯を新調して、「思いきや、老の朽ち木に春過ぎて、かかる若葉の又老ひんとは」と、噛めるようになった喜びを詠んでいます。
日本hあ高温多湿多雨のアジアモンスーン型気候の恩恵を受けて、古代から全土が森林で追われていました。人類は森林を切り開き、樹木を伐採し、生活の向上に寄与させることによって、文明を気づきあげてきました。
しかし、低温や小雨といった樹木の成長に不利な地域では、森林資源の枯渇によって文明も衰退していったのです。
幸い日本では、伐採しても自然と樹木が成長する条件に恵まれていました。そして、10世紀頃から杉や檜を中心に植林がなされるようになり、日本固有の木の文化、仏像彫刻に見られる木工技術に支えられて、世界でもっとも優れた精密な義歯を生み出しました。
義歯の床の材料は朴(ほうのき)が使われました。ます、口の中の型を蜜蝋でとり、それを見ながらノミ、手斧、のこぎり、ロクロ等大工道具を思わせる工具類で顎の形を作っていきました。そして、象牙、牛骨、シカの角などを自然の歯の形に彫刻し、床に糸で結びつけました。
普通、患者さんの口の中で何度もあわせながら作るのですが、天皇や将軍などの高貴な身分の人たちの義歯を作るのは、命がけのようでした。脈をとるのでさえ、糸脈といって手首に絹糸をまきつけ、遠くのほうから脈をみたという信じられない話が残っているのです。
義歯を作る場合も、直接身体に触れることは出来ず、大きく口を開けてもらって、遠くからのぞき込みながら、直感をたよりに作られたようです。
日本の総義歯は現在のように上下別々で、それぞれ顎に吸着するようになっていて、文献をみますと1500年ころには完成されていました。西洋では、プロローグでお話したワシントンの総義歯のようなスプリング形式のものが主流で、日本の義歯のような吸着式の維持方法が理論的に発見されたのは1800年頃で、その実用化はさらに後年のことでした。
参考文献 おもしろい歯のはなし60話 磯村寿賀人著 大月出版
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